青銅の龍の口から霊水☆彡本瀧寺
【能勢妙見山 本瀧寺】
能勢妙見山 本瀧寺の本堂は行基菩薩の建てられた「爲楽山大空寺」にちなみ、「大空殿」と名付けられています。
内陣・中陣・拝殿に分かれ、内陣には
ご本尊のお釈迦様を中心に、ご本尊の妙見大菩薩・常富大菩薩様が祀られています。
およそ千二百五十年前、当山を「野間の高嶽(のまのたかたけ)」または「東の高嶽」
と呼ばれていた頃、僧行基がこの山を拓き、
霊所として一寺を建立し、
「爲楽山大空寺(いらくさんだいくうじ)」と称していました。
山の北側の中腹に落下する、一条の滝を拓いて水行の道場、精神錬磨の最適の行場と定め、以来その滝を
「行儀(ぎょうぎ)の滝」
と呼ばれるようになったと伝えられています。
当山には次のような伝説もあります。
野間中の字「フルノ」という所に、大きさ手まりほどの星が天降(あまくだ)り、村民達が恐れて巫女(みこ)の口を借りて尋ねたところ、
『我は北辰(ほくしん)大菩薩なり。国土守護のためこの地に降りた。清浄な地に移し、一心に祈念すれば、諸願成就せしめん』
このようなお告げに村民は喜び、早速、東の高嶽にこれを勧請しお祀(まつ)りした。 その星の天降ったといわれる所は、稲地の「元妙見」で、お堂が建てられ、代々平田姓が守っておられます。
爲楽山大空寺は、一時は隆盛でしたが、元亀 天正のころには、戦乱の世となり、寺は衰微し、荒廃しました。
慶長六年(1601)頼次の遠祖、多田満仲公の邸内に祀られていた「鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をここに移し、
日乾上人がそれを「妙見大士」として法華勧請して城の守護神とされました。
日乾上人は滝を改修し、行基菩薩の芳蹟を尊重するとともに、法華の行場として大衆教化(きょうげ)にあたり、この山の守護神として「宇迦の御魂(うがのみたま)」(権化常富菩薩)を勧請し、以来その霊験はますます加わり、
「能勢の本滝(ほんたき)」
と呼ばれるようになりました。
(※HPより引用させて頂きました)
今からおよそ千二百年以上も前、行基菩薩が開かれたというこの御瀧は、能勢妙見山 本瀧寺の境内の南東の奥にあります。
正面に石の大鳥居があり、苔むした岩の上の青銅の竜の口から霊水が落下しています。
滝壺には天保十二年に、丹波の日の出講の発願で法華経の一字一石が埋められたといわれています。
水かけ不動
休憩できる場所がありますよ♪
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